COLUMN

アドルフ・サックスの響き


楽器について

サキソフォンの歴史は、1846年、ベルギー人、アドルフ・サックスが、パリで特許を取った時から数えると、約160年ということになる。

1881年、アドルフ・サックスの持つ特許が切れて以来、各メーカーがそれぞれ、サキソフォンを作り始めたに違いないが、1800年代のサキソフォンについては、アドルフ・サックス社のもの以外浅学にして私は知らない。

アドルフサックスの本名は、アントワーヌ・ジョセフ・サックスであり、アドルフは通称であったらしい。

また、アントワーヌ・ジョセフは楽器製作者としてだけではなく、演奏者としても、名手であったらしく、一時期は、パリのコンセルバトワールのサックス科の教授でもあった。

私が考えるに、彼は名手であっただけに、サキソフォンの改良に関しては、その音域を、広げる事以外、メカニズムに関する改良にはあまり熱心ではなかったのではないかと思われる。

なぜなら、アントワーヌ・ジョセフの発明した楽器は、オクターブキーが2個ありG#までと、それ以上の音とで使い分けなければならなかったし、それ以外にも現在の楽器と比べて、楽器のメカニズムは、まだまだ不備であり、その演奏はきわめて困難であった。

1881年以降、各楽器メーカーがこのサキソフォンを作り始め、それと同時にメカニズムの改良を行ったと思われる。なかでも、アントワーヌ・ジョセフの子息である、アドルフ・エドワールは本当に熱心であり、父の発明したこの楽器を、1910年頃までには、現在の楽器と基本的にほぼ同じ状態まで作り上げてしまった。しかし、この熱心さのあまりか、会社の経営には疎かったのかは分からないが、1928年に、自身の会社であるアドルフ・サックス社をセルマー社に、売り渡す事態になった。

この時代、アメリカにおいては、コーン、キング、マーティン、ブッシャーその他、フランスでは、セルマー、ケノン、マリゴーほかのメーカーも競ってメーカー独自のサキソフォンを制作していたに違いない。なかでもアドルフ・サックス社を受け継いだアドルフ・エドワールは、その完成度において、おそらく一番高いものを作っていたと思われる。

その改良にかけた情熱は、父、アドルフ・サックスと同じくらい評価されてしかるべきだと私は思う。

この1910年頃に作られた、アドルフサックス社のサキソフォンはすでに完成しており、これ以降付け加えられたものは、ハイF#キー、フロントFキーの二つくらいしか思い当たらないからである。

以上述べたように、けっして、パパサックス(アントワーヌ・ジョセフ)がサキソフォンという楽器を、現在のかたちで突然発明したのではなく、むしろアドルフ・エドワールをはじめ、各メーカーの職人及び経営陣の努力によって、現在のサキソフォンが完成されたということを、もっと多くの、サキソフォン奏者、サキソフォン愛好家に知ってもらいたい。

さて、ここでは、私が知り得た知識と修理した経験のみに基づいて、この文章を書いているわけだが、このアドルフ・サックス社が製作したサキソフォンには、三種類の系統のシリアルナンバーが、刻印されている。それを仮に、第一世代、第二世代、第三世代と呼ぶことにする。

まず、父アントワーヌ・ジョセフの時代に作られた楽器には、すべての楽器を通しての、シリアルナンバーであり、サキソフォンのみに刻印されたものではない。これを第一世代という。私はその内の一本を修理したのであるが、そのシリアルナンバーは#36040であり、製造年は、1868年(慶応4年)であった。これは、まぎれもなくアントワーヌ・ジョセフの時代のものであり、特徴として、キーバランスをとるバランスシステムがオフィクレイドの時代そのままであろうと思われる独自のシステムであった。ハイはFまでで、ロウはBまでの楽器であり、中間のBbはサイドのトリルキーのみで、その他の指遣いは無い。そのため記音のBの音は、Cと同じく、いわゆる、フォークフィンガリングになるので、Bb(ビスキー)のトーンホールが現在の楽器に比べ、かなり大きい。

次の第二世代の楽器には、多分、#10001から始まるシリアルナンバーがうたれている、なぜなら、松沢 増保氏のサキソフォンの歴史の資料にも、インターネットで私が見たもののなかにも、4桁のシリアルナンバーの楽器は最後期のもの以外発見できないからである。この時代のものと、つぎの第三世代のものについては、その楽器の特徴についてくわしく後記するつもりである。

さらに第三世代のものは、#01番から作られており多分#1000番位までは、アドルフ・サックス社で生産されている。そして前期のようにセルマー社に吸収されてからは、私は見たことが無いのであるが、アドルフ・サックス社と、セルマー社のロゴマークが二つとも刻印されており、それをダブルエンブレムというらしい。この楽器のシリアルナンバーは、多分#13000番位までではないかとおもう。
セルマー社に1928年、吸収された後、1936年まで、セルマー社のもとでアドルフ・サックスブランドの楽器は作られ続けた。この最後期のものだけが、4桁のシリアルナンバーをもっている。さらに、アドルフ・サックス社のサキソフォンのシリアルナンバーは第一世代のものはベルに縦方向に刻印されており、第二世代、第三世代のものは横方向に刻印されている。

そして、先述したとおり、1910年から20年まででこのサキソフォンという楽器の進化は終了し、これから後は世界中の楽器メーカーが、それぞれにこの楽器を時代の移り変わりに合わせて、「変化」させてきただけのように、私にはおもわれる。

なぜなら、人間も楽器も、「何かを得たら、必ず何かを失わなければならない」という原則は、基本的には同じで、何一つ失わずに、さらに何かを得ることは、至難の業である。

したがって、このサキソフォンもこの変化の過程で、何をどこかに、置き忘れてきたに違いない。

そこで今回の演奏を聞いてもらえれば、サキソフォンという楽器が何を失ったかということを、理解してもらえるのではないかと思う。

さて今回の、コンサートで、使用する楽器について少し詳しくのべる。

4本とも、アドルフ・エドワールの時代のものであり、さきほど述べた仮の区分でいうと、ソプラノサックスとテナーサックスは、第二世代にあたり、アルトサックスとバリトンサックスは、第三世代に当たる。時代順に並べると、ソプラノ、テナー、アルト、バリトンとなる。

第二世代の2本は、トーンホールがハンダ付け(ソルダード)で作られており、トーンホールの大きさもアントワーヌ・ジョセフの時代のコンセプトを基準にしており、先述の通り、現代の楽器とは差異がある。また、この楽器にはまだ、フロントFキーは無い。

あとの2本は、第三世代のもので、そのトーンホールは引き抜き(ドゥローン)であり、現代のサキソフォンのトーンホールの基準となっているのであろう。また、この第三世代の楽器になると、サキソフォンとして完成しており、トーンホールがインラインであるのと、ベルのB、Bbキーが、現在とは反対側にある以外は、差異はない。

次に、各々の楽器について、少し詳しく述べてみよう。
1)ソプラノサックス(#17012) 1910年?
この楽器は第二世代のものなので、とくに、記音B(実音A)のための、ビスキーのトーンホールが、かなり大きく、音程がかなり高い。またこの楽器に関しては、高音サイドキーが、現在の楽器と同じように、それぞれ単独に作られており大変使いやすい。また、フロントFキーがないのでそれを作り、接着剤で取り付けて高音域を使いやすくしている。

なお、私がもう一本所持しているソプラノサックスは、ちょっと説明しにくいのであるが、#18116と、この楽器より新しくつくられたにもかかわらず、高音サイドキーが一列に一本のロッド(心棒)でならんでいるだけで通常の指遣いはできない。そのため私は、D、D#、E、Fの各キーをつくり、それをネジ止めで取り付けられるように加工して、なんとか、セルマーのマーク6のソプラノサックスのような指遣いで使っているが、これはオリジナルを損なわないための加工であり、その気になれば15分でもとのオリジナルに戻すことができる。

2)アルト・サックス(#365) 1920年?
これは、第三世代の楽器で、フロントFキーも完備し、すでに完全に完成している。
ただ、ハイF#キーは無い。この楽器は彫刻模様もはいり、本体はサテンシルバー仕上げであるが、彫刻模様の内側だけ普通の艶があるという凝った仕上げになっている。

その他に、私は、もう一本アルト・サックスを所持しているのであるが、そちらのほうは、第二世代の楽器で、シリアルナンバーが、どこにもみあたらないので、詳細な年代は不明であるがその構造とシステムから、多分1910年より、以前の楽器と思われる。

ただし、特に面白い点は、そのオクターブキーのシステムで、サキソフォンのオクターブキーシステムは、セルマーのシガーカッターが出現するまで、4本のスプリングの強さのやり取りで動かしていたのに、このモデルだけは現在のオクターブキーのように、変形ではあるが、シーソーシステムを使っている。私はアドルフ・サックス社が、なぜ、このシステムをもっと改良して、使用しなかったのか、たいへん疑問に思っている。

3)テナーサックス(#18240) 1910年?
第二世代の楽器である。前述のとおり、ソプラノサックスと同じように記音Bがかなり音程が高く、また現在の楽器に比べて、ボア(管径)がかなり太く、したがって管長がやや短い。またこの楽器には、ベルにアドルフサックスの刻印が2ヵ所はいっていて、上の方には、A.J.Adolphe SAXと、やや斜体をかけたロゴマークがはいっている。

これは、もしかしたら、アドルフ・エドワールが父 アントワーヌ・ジョセフに献呈するつもりで作った楽器かもしれないとおもうと、感慨深いものがある。また、この楽器のキーガードは、他のシンプルな物に比べて、すこし凝った作りになっていて、美しさも、やはり追求していたのかなと思う。

4)バリトンサックス(#584) 1920年?
第三世代の楽器であり、私のコレクションのなかでは、一番新しい。
低音はBbまでであり、サイドBbのシステムが、セルマーのモデル22のシステムと同じである。これは、もしかしたら、父 アントワーヌ・ジョセフが初めてサキソフォンを作ったときのシステムを彼が残したかったのかもしれないと思うと楽しいし、このシステムだとサイドキーを使うときと、ビスキーを使うときの音程も音色もまったく同じであるので私は現在のサキソフォンがこのシステムを使ってみればいいのにと思う。ただ、このシステムに関しては、どちらが先に作ったのか私には分からない。それに、外見上の違いとして、ネックのU字管の巻きかたが現在のほとんどの楽器とは反対で、ビュッフェ。クランポン社のバリトンサックス(プレステージュまで)と同じであり、思わぬところで、他社に引き継がれているところがおもしろい。

この楽器たちの持つ最大の特徴は、その音色と響きである。
基礎倍音(第一倍音)が、非常にガッシリとしており、高倍音の含有率が低いため、ややおとなしく感じるが、ピアニッシモからフォルテッシモまでクレッシェンドしても、音色はほとんど変化しない。また、高音をフォルテで演奏しても現在の楽器のように、耳にキンキンくるようなことはない。別の言い方をすれば、今のサキソフォンが持つ華やかさにはかけるが、やわらかい、やさしい、そして美しい響きを持っている。

この音色の響きこそ、現代のサキソフォンが失ったもののうちで、最大のものではないかと私は思う。また、前述のように基礎倍音がしっかりしているため、特に低音域でスタッカートのタンギングをしても、音がひっくりかえるようなことは少ない。そして、この楽器たちの音は、その指向性が非常に弱く、ベルから音がでるのではなく、管全体が振動し共鳴しているためすべての方向にむかって音を出す。従ってベルが観客の方向をむこうが、むくまいが、ほぼ同じに聞こえる。これもいまの楽器では考えられないことである。

これは、まったく私の独断であるが、この楽器を使用してのコンサートは、多分、1950年以降は行われてはいないと思われる。1900年代の初期は、この楽器たちは、まだ現役であり、おそらく、マルセル・ミュール等もこの楽器を使用していたことだろうと思われる。しかし、1930年代にはいると、アドルフ・サックス社はすでになく、コーン、キング、マーティン等、アメリカ製のサキソフォンが、ジャズの隆盛とともに、ジャズサックスの中心となり、また、ヨーロッパではセルマー社とクランポン社が、その勢力を大きくのばしてきた。

特にクラシックサキソフォンの世界では、ほぼこの2社の楽器が使われたに違いない。なかでも、セルマー社は、シガーカッター、レディオインプループド、バランスドアクションへと、モデルチェンジをくりかえしていき、クランポン社も、スーパーディナクションを発表し、サキソフォン全体の生産本数も年を経るにしたがって増えていった。

こういった楽器達の出現と大量生産によって、アドルフ・サックスのサキソフォン達はしだいに、過去の楽器として、音楽シーンから退場し、現在は何か、骨董品のような楽器としての扱いしか受けていないようにおもわれる。

最近、浜松の楽器博物館から、1960年代のアドルフ・サックス社のサキソフォン(第一世代)を使って演奏したCDが、発表されたが、やはり楽器としての完成度がひくいため、操作性、音程コントロール、ともに困難で、20世紀の音楽に対応するのはかなり難しいとおもわれる。

しかし、私の楽器達は、アドルフ・エドワールの情熱と努力のおかげで、プレイヤーの好みと能力によっては、近代はもちろん、現代の音楽にも充分対応できそうな気がする。

これまでに、9本のアドルフ・サックス社のサキソフォンを修理した修理屋としてはっきり言えることは、この楽器達は、本当に良く作られた、愛すべき楽器であるということである。そして私は、19世紀から20世紀初頭の修理屋ではない21世紀の修理屋として、この楽器達にむかうとき、アドルフ・エドワールでさえ想像しなかった楽器の潜在能力を充分に引き出してやる責任があると思った。しかし、そのために楽器のオリジナリティを損なうようなことをしては絶対にいけない。オリジナルのまま、その能力を限界まで高めるというのが、私が私自身に科した課題であった。だから私は、私の経験と能力の範囲で今、彼らにしてやれることは全部してあげたつもりである。

そして、その過程と結果は私にとって、とても楽しく又うれしいものであったことを、彼らに心から感謝している。

ただ、この楽器が製作された当時のマウスピースはアドルフ・サックスの書いたイラストを見れば分かるとおり、楽器にくらべかなり太く、大きなチェンバーをもつものでむしろ、バスクラリネットのマウスピースを長くしたような形をしている。今、渡しがこれを手に入れることは、大変難しく、残念ながら断念するしかなかった。

これから、この楽器を使ったコンサートを開くに至るいきさつを述べる。

私は、この楽器達を、2003年の暮から、2005年の夏までの1年半のあいだに手に入れたのであるが、実際に修理してみてかれらの楽器としての能力の高さに私自身が驚き、また彼らを演奏してくれた人達も一様に、その能力を認めてくれた。

特に、渡辺貞夫さんからは「普通にちゃんと吹けるじゃない!」と、私にとって最大のほめことばをいただいた。また日本サキソフォン協会からは、毎月12月に開催する、サキソフォンフェスティバルで使ってみたいので、楽器を貸してくれとの依頼が2度あったが、大変申し訳ないが、楽器の貸し出しはできないと御断りして来た。

しかし、私としては、この楽器の存在をより多くの人達に知って貰いたいと思っているので、ぜひ、地元でコンサートを開きたいと考えていた。

このたび、2010年に念願の、彼らのデビューコンサートを開くことができ、大変うれしく思っている。ぜひ、この楽器の音色とカルテットの響きを楽しんでいただきたい。

最後に、述べておきたいのは、この楽器たちは、たしかに私の私有物ではあるが、けっして、私ひとりのものではないということである。

なぜなら、この楽器達がここに存在するためには、まず、始めにこの楽器を手に入れるために、インターネットオークションの煩雑な手続を、忙しいなか、よろこんでやってくれた友人、林研司郎氏の存在がなかったら、そもそも、この楽器を手に入れることすらできなかったし、また、私が修理したあと、数限りなく、クレーム(貴重のアドバイス)をつけ続けてくれた友人、荒木浩一氏がいなかったら、私一人では、この楽器の能力を、ここまで高めることは到底できなかったに違いない。したがって、いまここにこの楽器たちがあるのは、私たち三人が、自分の分野での力を、それぞれ、だしあって協力できた結果であることを、ここに記しておきたい。

このふたりの友人と共に、私に、このアドルフ・サックスのサキソフォンに、立ち向かうだけの修理技術と想像力を与えてくれた、今は亡き、石森管楽器の親父さんに、心からの敬意と感謝の気持ちを表して筆を置くことにする。

アトリエ パンパイプ 店主 江頭 雅夫